身内の死3(義弟の死)-院長のひとりごと

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身内の死3(義弟の死)

 先日義弟が亡くなりました。享年49歳。早すぎる死でした。死因は肺がんですが、その診断がつくまでが大変でした。さかのぼること2年前。義弟はひどい腰痛におそわれ、近くの整形外科を受診しました。レントゲン検査で腰椎の骨折が明らかとなりました。MRI検査では、がんの骨転移が疑われました。確率的に肺がんか前立腺がんが考えられましたが、通常の検査では異常は見つかりませんでした。PET検査で原発を見つけようということになりましたが、ちょうどゴールデンウィークが重なりずいぶん先の予約となってしまいました。

 

 義弟は横浜在住だったので、この段階で相談を受けもっと早い時期にこちらでPET検査を予約しました。結果は肺に小さな影はあるものの、骨に大きな異常があるだけで他の臓器は正常でした。確定の診断にはいたらないものの、ここまで来るのにすでに数週間が過ぎていました。その間、通常の鎮痛処置しかなされておらず義弟はずっと強い腰痛に悩まされていました。横浜では整形外科に、肺がん疑いで呼吸器内科、多発性骨髄腫疑いで血液内科にもかかっていましたが確定診断がつかない段階ではどこも本腰を入れて治療をしてくれません。このころには義弟はもうまともに歩けない状態になっていました。とにかくがんの骨転移は間違いないということで、こちらに引き取ってまずは痛みの治療から開始しました。2012年5月号身内の死3(義弟の死)麻薬性鎮痛薬で痛みは和らいだものの、大本の骨の病変を何とかしなければなりません。放射線科に放射線療法をお願いしましたが、悪性の確定診断がないことには治療ができないと断られました。骨腫瘍を専門にしている高校の同級生にお願いして、骨生検をしてもらいようやく確定診断がつきました。それが肺がんの骨転移というものでした。つまり原発の肺がんはとても小さいものの、骨転移ばかりが非常に大きくなったというものでした。

 

ここにいたってようやく放射線治療が始まりました。治療終了後、痛みはかなり治まり自力で歩けるようにもなりました。それから肺がんに対する抗がん剤治療が始まりました。ずいぶん副作用にも悩まされましたが何とか治療を完遂しました。長い入院生活を終え、退院したときには季節はもう秋になっていました。

 

 退院後は1年以上、比較的平穏に時は流れていきました。確定診断時に早ければ半年、長くても2年は難しいだろうと宣告されていましたがもっと大丈夫ではないかと皆淡い期待を抱いていました。その期待が破られたのは、昨年の暮れでした。急な発熱と腰から下の激痛に襲われ救急車で病院に搬送されました。一時的な感染症だろうとの診たてでしたが、懸命の治療にもかかわらず熱と痛みは治まりませんでした。わずか1、2ヶ月の間に転移が骨から臀部の筋肉に広がりみるみる大きくなって全身状態は改善することなく帰らぬ人となってしまいました。丁度がんの宣告を受けて2年がたっていました。人はいずれ死ぬとはいうものの、順番を違えた死はつらいものがあります。病の恐ろしさと、医療の無力さを痛感しました。

著者 院長・医学博士 先田功

乳がん検診・乳腺外科
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