身内の死1(父の死)-院長のひとりごと

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身内の死1(父の死)

 昨年父を、先日義弟を亡くしました。立て続けに身内の死を経験し、思うところを記したいと思います。

 

 まず父ですが、今から30年前、私がまだ医学生だった時に大学病院の先生から肝硬変を宣告されました。余命は10年無いといわれました。それから30年、私は医師になり、結婚し、子供(父にとっては孫)ができその子が研修医になり初月給で買ってもらったパジャマで死出の旅にでることができました。享年81歳。まあまあ満足のいく人生ではなかったかと思います。

 

 状態が悪くなったのは亡くなる1年ほど前でした。急に吐血をしたと母から連絡がありました。すぐに救急車を呼ぶように指示をして実家に向かいました。1時間ほどで実家に着いたときにはまだ救急車が家の前に止まっていました。受け入れ先の病院がないとのこと。年末年始やお盆というわけでもない普通の平日の夕方、田舎の過疎地でもない大阪市内での出来事です。私が到着してから元の勤務先の病院に電話をしたところ、たまたま吐血処置専門の先生が当直をしておられたので無理に受け入れをお願いして、県境を越えて救急車を走らせました。このときは保存的処置で状態が落ち着き、一ヶ月ほどの入院の後退院となりました。

身内の死1(父の死)

 その半年後、また血を吐きました。今回も先の病院に入院させていただきました。原因である食道静脈瘤の処置をしていただき、落ち着いたら退院しましょうといってもらいましたが一向に落ち着きません。おおもとの肝臓がもうほとんど機能していなかったようです。短期入院のつもりが、延び延びになり約半年になりました。その間先生や看護師さんにはほんとうにお世話になりました。母親も毎日遠くに通うのにも疲れ気味となりました。いよいよ病院で特に何も処置をすることがなくなり、実家の近所の病院に頼み込んで転院させていただきました。それを待っていたかのように、転院後数日で息を引き取りました。

 

 私は医師としてたくさんの方の最期を看取ってきましたが、身内の死というのは子供のとき以来経験していませんでした。自分でも意外なほど冷静に父を看取ることができました。お見送りしていただいた医師と看護師さんにはほんとうに感謝しました。自分が医師として日々行っていた行為が、患者さんやご家族にいかに頼りにされていたのかということを自分が患者の家族の立場になって改めて思い知らされました。これからもそういったことを肝に銘じなければと強く思わされました。

 次回はさかのぼること20年前、外科医になった私が父の手術にかかわったお話をしたいと思います 。

著者 院長・医学博士 先田功

乳がん検診・乳腺外科
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